戦場に残った武器
以前に比べマスコミ等での反日報道が減ってきた昨今、今度は日本バンザイの番組をよく見るようになってきたなと。
視聴率のとれるものなら何でもする、というマスコミの姿勢を考えれば時流はそちらかと思わせる流れですが、それでも鵜呑みにしてはいけないですよね。

ということで、今回は巷で親日と紹介されている国でも、先の大戦の影響で様々な国民感情があるんだよって部分を取り上げたいと思います。
親日だからーという理由で、旅先・出張先で横柄な態度が許される訳でない事を確認できればと思います。

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親日国家と呼ばれる国に対して

親日としてよく知られている国に台湾があるかと思います。
東日本大震災の時も、その国家規模に比べ多額の義援金を送って日本を励ましてくれた大切なパートナー。
そのルーツが日本統治時代にあることは有名で、第二次世界大戦後、再び中国に統治された際のお粗末さと比較され、さらに良き思い出として残っているというもの。

こうした台湾のケースは稀であり、現在親日とされているインドネシアやフィリピンなど、旧日本軍の侵攻により現地民の多くが殺され、非人道的な扱いも受けたとし今なおその過去に苦しめられる方たちがいます。

今更その過去に罪悪感を感じる必要があるのか、と問われれば、積極的にその必要はない、と考えるのが個人的な見解です。
ただ、その過去の事実は日本人として知っておくべきで、それを繰り返さぬよう未来に活かすことが現代を生きる自分たちの責任だと感じています。

過去は水に流して、という言葉はそれをされた側の言葉であり、それをした側の言葉ではないという点も含め、認識すべきことはしておきたいと思います。

今回、親日国の対象としたのは、アウンコンサルティング株式会社が2014年に調査した「アジア10ヶ国の親日度調査」に基づいたものとします。

参考:アウンコンサルティング株式会社|アジア10カ国の親日度調査 https://www.globalmarketingchannel.com/press/survey20140826

旧日本軍が関わった過去の誤ち

第二次世界大戦艦隊
ここでは親日国とされるインドネシア・フィリピン・タイ・マレーシア、シンガポールを対象に、日本人として知っておきたい戦場の爪あとを取り上げていきます。
その経緯や詳細については多様な見方があるため、あくまで旧日本軍が関わったと考えられる事件や主要な出来事をピックアップしました。

現地に赴く際や、その出身地の人に会う際には、表に出さずとも配慮すべき事として心がけておければと思います。

インドネシア(ジャワ、ボルネオ島など)

インドネシアは第二次世界大戦後、一度は独立を果たしますが、再度進行してきたオランダ軍を排除するため独立戦争を戦うことになります。
その際手を貸し支援したのが、軍籍を離脱した一部の日本人約3000人(一部では5000人とも)です。
前線でインドネシア正規軍と協力し、オランダと戦ったことが感謝され、首都ジャカルタ南部にはそこで命を落とした日本人約1000人の遺体が、国立英雄墓地(カリバタ英雄墓地)に丁重に弔われています。

そんな背景からインドネシアでは、日本に対する印象は概ね良いものであるとされますが、一方で強制労働や住民の虐殺が行われた過去もあります。

・現地民(特にジャワ)をロームシャと呼び、過酷な環境下における労働を強制
・ボルネオ島西海岸のポンティアナにおける住民虐殺
・ババル島における住民虐殺
・チョッ・プリエンの地における民衆反乱の鎮圧

住民虐殺については、日本軍に敵対していた当時の連合軍と現地民が密かにつながっているのではないかという疑念や、圧政に耐え切れなくなった現地民の反乱を鎮圧するために行われたものとされています。

フィリピン(マニラ、バターン島など)

第二次世界大戦当時、アメリカの植民地となっていたフィリピンに対し、東南アジアへの中継地点確保のために侵攻した日本軍。
一度は首都マニラを占領したものの、統治していたアメリカ軍との戦いになり、多くの現地民を巻き込む戦闘となりました。

・マニラでの虐殺
・バターン半島死の行進

マニラでの戦闘では、マニラ死守を通す日本軍に対しアメリカ軍の徹底した爆撃と砲撃により、その流れ弾を受けた現地民が何万人と犠牲になりました。
日本軍のみでの行為ではなかったものの、多くの犠牲者を出したことは事実として残っています。
また、バターン半島における捕虜への扱いでも多くの死者を出したことが記録されています。

タイ(ワット・ドーントゥーム)

第二次世界大戦当時、東南アジアで唯一独立を維持していたタイでは、旧日本軍の支配時に仏教徒に対して行った暴行が反発を招きました。

・バンボン事件

ワット・ドーントゥームという地で起きたこの事件は、タイ人の見習い僧が白人捕虜にせがまれタバコを渡したことが発端となっています。
その現場を見た日本兵は、見習い僧の顔面を殴り、それが敬虔な仏教徒であるタイ人への侮辱ととられ、現地労動者や警察(バーンポーン警察署)との戦闘に発展しました。
見習いとはいえ「僧」に手を上げた行為が、仏教徒への冒涜と見なされ、現地のことを知らない日本兵の軽率さがこの事件を引き起こしたといえます。

マレーシア・シンガポール

マレーシアとシンガポールは、旧日本軍のマレー半島侵攻としてまとめます。
当時この地には、マレー人やインド人、そして華僑と呼ばれる中国人とその他多くの民族が住んでいました。その中でも特に、祖国中国が日本兵に占領され、強い反日感情を持っていた華僑に、旧日本軍ははじめから強硬な姿勢をとっていました。

・華僑虐殺事件

この事件は、憲兵が華僑に簡単な質問をすることで反日かどうかをチェックし、少しでも反日と疑われれば処刑されるというものでした。
また、財産を持つものや教師といった学歴を持つ人間も反日とされ、海岸や沼地に連れていかれ何千人も射殺されています。

今なおマレーシアやシンガポールには、華僑の人らが多く住んでおり、戦時戦後含め華僑に対し複雑な感情があります。
ただ、こうした事件がこのマレー半島で起きていたという事は頭の片隅に入れて、現地での振る舞いに活かしてもらえればと思います。

まとめ

親日国と聞くと日本人として嬉しく、誇りにも感じられるものですが、本当に国全体がそうなのかというと疑問が残ります。
特に国の中でも地域によって、日本人に対する見方や態度が異なるということは当然あるはずです。親日国という、国単位のくくりでなく、地域ごと人種ごとに過去何があったかを考慮する必要があります。

全てを把握することは難しくとも、あらかじめそういった可能性を頭に入れ、海外での振る舞いを考えておくべきと感じました。

卑屈になることなく、しっかりと過去を受け止め、これからの行動に活かしていければと思います。