息子から母へのサプライズ
差別化されたコンテンツを作るにはいかに。的なことをブログを書いている手前よく考えたりするのですが、そんな時に思い出したのがこちらの記事。

チームラボ・猪子氏「言葉でしか良さを説明できないものはウンコ」 “非言語”が生む新しい価値とは? | ログミー

2年前の記事ですが、今読んでもおもしろいですし、差別化のポイントに”非言語”を持ち出してくるあたり意味わからなすぎて当時めっちゃ新鮮だったのを覚えています。
つい最近ふとこの記事を思い出す機会があり、腑に落ちた?つながったと思うこともあったので、個人的にメモしておこうかなと。

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差別化を生み出す”非言語”について

記事の内容をザックリいうと、「言語化可能なものはクールじゃない」「再現性と伝播性が極めて低い物のほうがイカす」といったもの。

言語化可能、要するにそのモノの良さや特徴を言葉で説明できるものは、その時点で模倣されやすく差別化への障壁が低いため、価値を保ちにくい。
一方、言語化できないモノであれば再現性や伝播性も下がり、強力な差別化要因として機能する、といった内容です。
考えてみれば当たり前のことかもしれませんが、モノの良し悪しに完成度や機能性を求めるでなく、受け手がその価値を言語化できるかどうかにフォーカスしている点は、とてもユニークに感じます。

そして、言語化不可能・非言語の価値は、体験したが人がはじめのうち何がすごいのかわからないのがミソであり、「なんかよくわからないけど、とにかくすごいから試してみて!」と説明不能な高揚感に包まれることがあげられるのだとか。

「美しすぎて言葉にできない」「どうこの気持ちを表わせばいいかわからない」といった状態がそうでしょうか。まさに最上級の感動・興奮といった”感情”を呼び起こせるものがクールだということです。

確かにそれができたら苦労しないわ!とも思いますが、1つそういった視点を持っておくことは、モノの価値を見定める上で有効かとも思います。

「よくわからないけど、めっちゃいい」の例

と言いつつも、実際に受け手としてそんな体験なかなかないのでは?と思っていましたが、個人的にはすぐに見つかりました笑
しかも割りと最近の出来事ですが、ふとそんな感情を掻き立てられる場面に遭遇。

「なんか訳わからんけど、すっごいなこれ笑」

それが、年末年始ニコニコ動画で放映されていた「天元突破グレンラガン」を観た時、っていうのはみなさんお分かりになりますかね。
「グレンラガン」自体は、乱立するアニメコンテンツの中で、伝説として受け継がれる作品でもあるため、一旦ここではその時の感動を取り上げさせてもらえればと思います。

ちなみに「グレンラガン」だけでなく、「キルラキル」の時も同様で、両作品を生み出した今石洋之監督と中島かずき(構成・脚本)氏は、言語化できない衝撃を生み出す稀有なクリエイターとして個人的に注目しています。

まだ観ておられない方には、是非観て欲しいと思うのですが、本当にすごい、そして熱い!笑
もちろん自分の語彙力はおいといて、内容や物語のテーマ(少年の成長や宇宙と生命の進化など)位なら普通に説明できます。ですが、むしろそれすらしたくないと思うレベルで、言語だけではこのアニメの世界観を表現しきれない上、したら陳腐になってしまうと観てる側がつい躊躇する程の作品となっています。

それぐらい内容的には惹きこまれ、置いてかれそうにもなりますが、これほどの圧倒的な熱量とどうしようもない感情の揺さぶりを体験させられる作品はめったにないのかなと。

もうめちゃくちゃだし、なんでこうなった!?と驚かさせるシーンばかりですが、そうなっても決してシラケない。所々納得出来ない場面も出てくるのに、むしろその訳のわからなさを楽しいと感じさせてしまう謎の説得力(なんかよくわからないけどスゴイと思わせる力)が、これらの作品にはみてとれます。

めっちゃ熱かったよね!、で終わらせることもできますが、いかんせんその“熱い”の質感が表現できない。受け手の感情を揺さぶる高度な演出・デザインが、他と比較できない水準へと押し上げているのではと感じます。

「よくわからない」感動を生み出すのは”表現”

そんなこと考えていると、そういえばジブリ作品にも通じるものがあるなと。
以前読んだドワンゴ川上氏の「コンテンツの秘密」にも書かれていましたが、コンテンツはあくまで内容ではなく、”表現”をいかに見せるかがポイントであるという話。

金曜ロードショーで毎年ジブリをやっていてもつい観てしまうのは、視聴者がその内容ではなく、ジブリ特有の”絵”や”表現”を観ているからだというものです。
まぶたからこぼれ落ちる涙や、田園を駆け抜ける疾走感など、その特徴的なシーンや描写がジブリをジブリたらしめているのだと。

ファンタジーの中にある生々しい人間模様や、日常の中にあるワクワクな非日常など。一見ありがちなストーリーでも、なぜか観てしまう、よくわからないけど観ていたいと思う背景には、キャラの動き、仕草、構図、質感といった”表現”の部分が大いに影響しているとのことです。

「よくわからないけど、とにかくスゴイ」と思えるコンテンツは、その内容以上に見せ方や演出の部分に大きく左右され、人の”感情”に潜在的に訴えかける仕掛けがあるのかもしれません。

まとめ

コンテンツの価値を測る尺度として、簡単に言語化できるかできないか、といった指標は1つの視点としておもしろいと思います。
また、言語でなく表現・感情に関わる尺度だからこそ、言葉の通じない世界中の人とも共有できるツールになるのではと、その可能性に大いに期待。

差別化されたクールなコンテンツは、その価値や感動を言語化できないという特徴があり、その要因はコンテンツ自体にあるのではなく、その見せ方や表現にあるかもしれない、という点を頭のどこかに入れておこうと思います。

転じて、自分のブログに置きなおすと「なんだかよくわからないけど、読みたくなる」ブログというものを目指すべきなんでしょうかね。
ただ「なんかわからんけどヤバい!」って記事は、単に書いている人間の説明不足って気もしますし、その塩梅はうまいことバランスさせていければなと。
ハードルたっかいなー