フランシス・ラーソン: 斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由 | TED Talk | TED.com
斬首がテーマの動画をどうして取り上げてしまうのか、といった理由もこれで判明しそうですが、今回はこれでいきたいと思います。
「斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由」と題されたトークは、人類学者のフランシス・ラーソン氏が、ネット上で配信されている斬首動画を人がつい観てしまうのはどうしてか、という点を解き明かします。

人の生死に対する振る舞いを通して、人間というものをより理解できればなと。

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トークまとめ:インターネットの性質が倫理的責任感を薄めてしまう

斬首動画に限らず、昔から公開処刑などは幾度となく行われ、その都度人は嫌悪しながらつい気になって見ることを止められない。むしろ、歴史的な処刑の際には、お祭り騒ぎでその様子を見に来る人達が跡を絶たなかったとのこと。

なぜそういったことが起きるのか、人が殺されるという残酷なシーンに、なぜ人は惹きつけられてしまうのか。
そんな野蛮なこと、この現代ではあり得ない。そう思う方に、ラーソン氏は短絡的だと指摘します。

現代でも記憶に新しいテロ組織による人質斬首動画は、世界中で視聴され何百万もの再生を記録しました。
これは現代人も実は野蛮だから、といった理由ではなく、インターネットの性質に依るところが大きいとしています。

・時間も距離も全くかけ離れた場所で起こった事件や情報を、自分には関係無いと割り切って接することができる
→ 距離感がある=淡白でいられる?ドライに物事を見れる?
・その一方で、かつて無いほど身近に体験できるのも事実
→ インターネットのお陰で誰もが最前列で、自分だけの空間と時間でこっそり観ることができる

以上のような、ネットを介した他人や事件との距離が、残酷な映像を平気で観られる現代人を理解する鍵になるといいます。

遠い場所での出来事であって自分には関係無い、けれどもその様子を第三者でいながら克明に観察することができる。インターネットによって生まれる物事との独特な距離感が、人々の倫理的責任感を薄めてしまう結果をもたらしているとのこと。

また、その要因となるインターネットの特徴が、さらに3点取り上げられています。

1,人はオンラインでの活動をリアルと区別して考えがちであり、オンライン上ではリアルより責任感を感じない(匿名性など)
2,膨大な情報によって、そもそも触れる気の無い情報に接する機会が増えた 普段観ないようなものも観てしまう
3,さらにそれが録画動画であり、遠く離れた時と空間で起きたこととなると、観る事自体を受け身に感じてしまう(すでに終わったことで自分できることはない、自分はただ見ているだけである等)

こうした要因が重なり、死への好奇心に負けて個人的な境界を飛び越え、ある種のショック耐性テストのごとく観てしまう。
これが「斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由」とのことでした。

思ったこと・疑問点など

観て気づいた方もいるかと思いますが、これは別に「斬首」に限った話ではないということです。

別にグロやアダルティーの違法動画視聴、SNS上の書き込みでも同じようなことが言え、インターネットの性質によって各人の倫理的責任感が薄まってしまった結果引き起こされたものであるといえます。

そうした仕組みからの分析が今回の主な学びでしたが、個人的にはもっと人の内面の話を聞いてみたかったなと。
特に動画の前半で話していたような、民衆の娯楽としての絞首刑や、凶悪殺人犯の死刑執行に何万人も集まった話など、そのエピソードを通じて人は死に何を感じ、他人が殺される瞬間から何を得ているのかなどについて考えてみたかったと思います。

ただそうしたエピソードの一端からでも、人は野蛮で残酷だ、というより生来的に”生死”への好奇心を常にどこかで持っている存在なのだなと再確認できたと思います。

表面的には、罪人に刑が執行されることを通じて自尊心を高めることで、それがある種の娯楽として成立していた面があるかもしれません。
ですが、本質的には人はそもそも”死”への興味関心が尽きない生き物であり、普段他の娯楽や生活のせいで感じることのできない”死”を、目の前で他人が殺されるというシーンを通して感じることができる。そこに一定の価値?を置いていたのかな、など。

自尊心などではなく、元来持つ人としての「生への実感」、死への恐怖とその対極にある「好奇心」が、人をこうした場面、動画に惹きつける要因だと感じました。

宗教などと絡めればもっと出てきそうですが、絶対に長くなってしまうため一旦お預けにしておきます。