iPadを操作する子ども

日本ではまだ馴染みの薄いSTEM教育。ただ海外では、イギリスやアメリカといった先進国で、政府も巻き込んだ取り組みが大々的に進められています。

各国が、これほどまでにSTEM教育を進める理由はなんなのか?学んだ先に何があるのかについて、簡単にまとめておきたいと思います。

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STEM教育は時代の要請

STEM教育とは、Science:科学、Technology:テクノロジー、Engineering:工学、Math:数学 の頭文字をとった理系教育のことを指します。
インターネットの普及や、テクノロジーの発展に伴い、高度な理数系人材が求められ、どの産業及び国の発展にも欠かせなくなってきました。

そんな中、アメリカでは理数系担当の教員を増やしたり、理系授業への助成金を出すなど政策を進め、イギリスでは2014年にプログラミングを学校の必須科目にする初の国家となっています。

また、首相が数学者であるシンガポールでは、そもそも国の戦略として教育が重視され、その中でもグローバルに通用する数学・科学に重きを置いた取り組みが盛んに行われてきました。

こうした各国の動きは、時代の要請ともいえる必然性を感じさせます。時代が大きく変わっていくタイミングでその先端を走るのは、常に新しいモノを最初に作れる・生み出せる者のみ。
かつての日本でも、モノを作る技術があったからこそ、先進国にキャッチアップしながら成長し、世に新しいものを生み出せたのだと思います。

理系離れといった言葉もあり、教育現場だけでは対処しきれない問題でもありますが、最低限その裾野を広げていくことはできるはず。
では、どうすればそれが可能か。海外ではすでに、企業や団体がそうした役割を担い、サービスとして各教員や教育機関にノウハウやツールを提供しています。

STEM”教員”を育てる試み

STEM教育への取り組みを推進するため、まず教員がSTEMを学べる環境が必要です。教員自身がその価値・可能性を感じられるよう、理解を深められる講習などが、企業・団体を通じて実施され、STEMを担う人材へと教育されています。

非営利団体 Code.org(アメリカ)

Anybody can learn | Code.org : https://code.org/

Code.orgは、すべての子どもたちにプログラミングを学ぶ機会を与えることを目標に、活動している非営利団体です。
特に、園児や小学生向けにプログラミングを学ばせたいと思っている教員に対し、無料でワークショップなどを実施。いつでも教員が学べる体制となっており、オンライン上ですぐにコンテンツも体験できるようになっています。

Kano Computin(イギリス)

Kano : https://kano.me/

コンピューター製作キットで、コンピューターを組み立てながら、その仕組み・プログラミングを学べるツールが、Kanoです。
STEM教育を取り入れたい教育者に向けて、Kanoをどう授業に活かすか、効果的にカリキュラムに組み込むにはどうすればいいか、といった点までサポートしています。
また、利用者をつなぐ独自のコミュニティも用意されており、気軽に質問できる環境が整っているのも特徴です。

STEM教育の本質「何かを生み出す力」

基本的にSTEM教育となると、ここであがったプログラミングがメインコンテンツとなりがちです。だったらはじめから、プログラミング教育で良いのでは?となりますが、実際のところ、その本質はプログラミングにはありません。

大事なのは、いかに自分で何かを作れるようになるか、モノを消費する側ではなく、生み出すことに価値を見いだせる人材になれるか、という点にあります。

プログラミングはあくまでその手段でしかなく、肝は、クリエイターとして作る楽しさを学び、作ったものが世界につながるその可能性を感じさせることなのです。

そこには、数学や理科をただ受験のために学ぶだけでない、人間的な成長を後押しする貴重な体験が含まれています。
ネットの普及により、その恩恵を幼い頃から経験させることで、自分の知らない世界を知ることができる。それが斬新なアイデアにつながり、イノベーションを生み出す原動力になる。そんな下地がSTEM教育で養われるのです。

テクノロジーの支配から免れるために

ロボットや人工知能など、将来その行き過ぎた技術が人間に脅威を与えるのでは、と懸念が広がっています。
また、一部の天才的な科学者達が、その技術を独占し利己的な動機で用いるようなことがあれば、さらなる富の独占による格差の助長を促します。

ロボットの暴走か、人間の自滅か、行き着く未来には拭いきれない現実も伴いますが、だからこそこうしたSTEM教育によるテクノロジーへの理解が不可欠です。

誰しもがバリバリの研究者になる必要はありません。ただ、全くの門外漢だからといって、無関心になってしまうことだけは防がねばなりません。今どんな研究が進んでいるのか、すでにあるテクノロジーとどうやって向き合えばいいか。
ちょっとした関心や知識の差で、おかしいことをおかしいと思える感性が養われ、それが意味ある行動につながっていくはずです。

直接的だろうと間接的だろうと、テクノロジーによる支配から免れるためには、まずそれを理解できる人を増やしていくことが重要だと感じます。