思想!哲学!なんかかっこいい!宗教?ちょっと危なそう、、
そんなレベルから勉強を始め、最近少しはわかってきたかなーと思っていましたが!ふいに友人から聞かれた質問に答えられずあえなく撃沈。
それが、
「思想と哲学と宗教ってどう違うの?」 というもの。
わかったつもりで得意気になっちゃうのよくないですよねー。あまりにも初歩的な質問でしで、むしろ1番はじめに知っておくことだろと反省をして、改めて整理しておきたいと思います。
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価値や存在の根拠はどこか?
図示したように「思想」という枠の中に「哲学」と「宗教」があり、「哲学」にはさらに「西洋哲学」と「東洋哲学」があります。
これらの共通点は、「自分や人間、世界といった物事についての本質を徹底的に考え抜き、その真理を追い求めること」です。人が生き、行動していく際の指針ともなるべき理(ことわり)を探る。
そして、そうした結論に辿り着くまでの過程や、根拠となる対象の違いによって各分野を分けることが可能になります。
西洋哲学 – 自らの頭で考えた合理性が根拠
まず哲学で重要視されることは、物事の本質を追求するために合理的・論理的にどこまでも考える態度が必要だということです。
宗教のように、神様の教えだから信じるということではなく、物事を徹底的に自分の頭で考え抜き、普遍的かつ妥当な論理を1つひとつ積み上げて構築していきます。
そのため、その主張に賛成できるか否かは別として、順序正しく読み進めていけば誰もが理解できるような論理ができあがるのです。
「人間とは何か」「より善く生きるにはどうしたらよいか」、といった問いを、人間自らの頭で考え、合理的な答え・結論を出していく。それが「西洋哲学」です。
東洋哲学 – 東洋独特の思想とも言える考え
東洋哲学で有名な人物に、中国の孔子や孟子があげられます。
そうした人物の思想は、人生や社会のあり方を考える際、非常に有益なものとして度々引用されますが、それらが哲学か、と問われると厳密には異なるものとして考えます。
その理由は、東洋哲学がその土地に結びついた生き方や価値観、精神性を整理して”真理”と提示するものも多く、哲学に必須である合理性や正当性を厳密に検証しないという傾向がみられるからです。
その土地や地域の人々にとってしっくりくる、感覚的に理解できる、といった部分が論理の正しさを裏付けるものとなり、その根拠を明確に問われることが少ないのです。それが「思想」に結びつく由縁でもあります。
宗教 – 絶対的な存在への信仰
宗教では、絶対的な価値としての『神・教祖・教義』を掲げ、その教えを信じることによって真理に近づこうとします。
人間による思考や論理、検証といったものを全て超越し、誰もその正しさを証明することはできないものの、ただ信仰し受容することが求められます。
哲学が論理的に批判され、時流と共に補完・更新されていくのに対し、宗教は人間の判断や思考によって「過去から伝承される教義・物語の体系」を勝手に書き換えることはタブーであるとしています。
真理そのものが、神からの啓示によって直接与えられるため、最終的な答えがいきなり出てしまっているという点は哲学とは対照的です。段階的な考察も全く無く、それを「信じるか、信じないか」を問われるのが「宗教」なのです。
まとめ
こうしてまとめてみると、それぞれ異なるものであることがよくわかります。こうした特徴があること知りもせず、学んだつもりになっていたのがお恥ずかしい。。
哲学・宗教を勉強する際は、ぜひその体系や関係性をざっくり把握した上で、個別の理論・教義に取り掛かってみてください。