教室にいる子供達
テクノロジー最高!未来半端ない!と、どちらかと言うとこれからの進化・発展に前のめりな人間です。その可能性や新規性を感じさせてくれるサービス、コンテンツは好きでよく飛びついているのですが、こと教育になるとまた違った印象をいだきます。

テクノロジーを教育に生かす4つの重要ポイントをチェックしよう | TechCrunch Japan

今回取り上げたこちらの記事も、テクノロジーを活かせばもっと教育サービスの可能性は広まるよね、といったことが書かれています。よくよく読むと大したことは言っていないので割愛しますが、こうしたサービスが高性能・高機能になっていけばいくほど、それを導入すべき現場からどんどん遠ざかっていく気がしています。

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テクノロジー崇拝 → 現場軽視のモノづくり方程式

PC使えない図
テクノロジーがひとり歩きして、現場が置いてきぼりの状況は、なにも教育に限ったことではありません。
最近のケースだと、介護現場におけるロボット活用の状況とひどく似ているなと。施設の部屋に入らないような特大サイズの全自動ベッドや、明らかに予算オーバーの高額プロダクトなどといった感じです。

新しいテクノロジーが出てくると、ディベロッパーは喜々としてその機能を追加。こんなことができる、素晴らしいと自己満足に浸りますが、現場に求められていないのであればそれは作ってないのと同じこと。

特に教育現場にいたっては、そもそも現場の問題をどこまで把握して開発しようとしているのか甚だ疑問です。さらに言えば、どの部分にテクノロジーを活かすべきかを見誤っているというのが率直な印象です。

それはどういうことか。
要するにプロダクトの高機能化といった部分はあくまで二の次で、そのプロダクトをいかに現場に負担なく導入できるのかを考えることが先だということです。

起業家やイノベーターは、こうしたサービスを作れば教育現場はもっと合理的に、もっとクリエイティブになるはず!といった考えから開発を始めます。
しかしこの時点ですでに間違いであり、企業などで使われ価値を認められたサービスでも、学校という場で同じように機能することは少ないからです。

その理由として以下の4点があげられます。

・教員のITリテラシーの低さ
・ITリテラシーを向上させる時間の無さ
・IT、テクノロジーに対して否定的な保守層の存在
・合理化や創造性に重きを置かない古い考え方の蔓延

1、2つ目と3、4つ目はリンクしている問題ですが、概ね言いたいことはわかっていただけると思います。

教員のITリテラシーの低さ

この問題は各世代により大きな隔たりがあることは間違いありません。
年配のベテラン教員ほどPC操作が苦手で、むしろPCを使わずに業務をこなしているという方も少なくないはずです。

また、今の若いデジタル世代が教員になればこの問題は追々解消すると考える方もいますが事態はそんな単純ではありません。むしろスマートフォンの使いすぎで逆にPCを使えないといった若者、新入社員が増えているのも事実です。(参考:パソコン使えない若者、増加 – 毎日新聞)

そして、民間であれば当たり前の「向上心」といった各人の資質に期待するのも望み薄です。
残念ながら市場原理にさらされにくい公立学校などでは、安定を求めて自分でもそこそこできそうな職場を求めた結果教員になる層が一定数います。いくら意識の高い人間でもそういった層と日常的に接していれば、自身の気概も削がれるもの。
それが何年と続けばいつの間にか同じぬるま湯につかるか、学校を辞めるという結果に至るのも当然です。

ITリテラシーを向上させる時間の無さ

これは言わずもがな仕事量の多さが、ITリテラシー向上の機会、時間を奪っているという話です。

身近に業務を効率化できるサービス・アプリケーションがあったとしても、それを学ぶ、使いこなす時間が無いというのが現状。
そして悲しいことに、仕事はいつでもデキる人に回ってきます。意欲ある人材ほど雑務に時間を取られ、自身のスキルアップもできず組織に埋もれていくのがよくあるパターンです。

IT、テクノロジーに対して否定的な保守層の存在

自分が理解できないことはやらない、使わないといった保守層の存在が導入自体を妨げるという意味です。
ITやテクノロジーはもちろん、新しいことや未知のことは全て面倒事と捉え、いつまでたってもできない・やらない理由を並べる。しかもそれが校長や主任といった決済者であることもあり、その状況ではほぼ絶望的です。

説得するのに多大なコストがかかる上、なによりサービスやプロダクトの良し悪しを自分で判断、評価することができないことを、相手のせいにするという悪癖さえ持ち合わせています。

合理化や創造性に重きを置かない古い考え方の蔓延

長時間労働が当たり前、仕事は成果ではなく時間で評価し、できるだけ前例を踏襲した間違いのない仕事をする、といった公的機関のお約束。
非合理主義、前例主義の人間が多く存在し、外の世界を知らないばかりにそれが当たり前だと考えている人の存在です。

別に合理化しなくても今のままで十分ではないか、これまでの延長でなんとかなると考える人が多く、硬直化した組織へのアプローチは困難を極めます。

起業家がイメージすべき教員像と目指すべき方向性

以上4点から、「そんなことはない!教員の中にも前向きで協力的な人達は大勢いる!」「今の先生は優秀だ!」と言う方もいると思います。
もちろんそんなことは百も承知ですし、幸い自分の周りにも意識高く教員という職にプライドをもっている先生が多く存在します。

ですが起業家やイノベーターが、現場の教員を過大評価し無条件にリスペクトすることは1番やってはいけないことです。

こんな素晴らしいサービスならわかってくれる、使ってくれる、と相手に期待してはいけません。あくまで「ITリテラシーが低く、その上多忙で時間もない保守的で面倒くさがりの教員」というモデルをイメージし、そんな人でさえ使いたくなるようなサービス・価値を提供することが起業家の1番の仕事です。

なぜそこまで、と思うかもしれませんが、教育現場はそれが現実であり、それでもなお現状を憂い改善すべきと思えるのであれば挑戦すべきです。

顧客視点というより、徹底的に現実的な顧客の状況に立つこと、立った上でさらに突き詰めて考えてくこと。それが教育現場のサービスで求められていることだと思います。

いっそITやらアプリケーションは諦めて、文字認識やパターン認識を活用した全自動採点マシンなんかを量産したほうが喜ばれそうな気もします。USBでテストデータをコピー、ボタン1つで採点開始。論述問題だけ先生が軽く見直す程度で、どれだけの時間が生まれ負担が減るか。

導入に関してもコピー機っぽい職員室に馴染みそうなデザインならば置いてくれそうな気もしますがいかがでしょう。

恐らく地味で夢が無かったり、製造に掛かるコストだったりで投資家から資金を集めにくそうですが、MAKERSも流行っていますしそこはなんとかこう、なんとか。

新しさ、かっこよさだけでなく、ローテク&ハイテクを使い分けて現場のちょっとした問題を1つずつ解決する。そんな馴染むサービス・プロダクトという方向性もありな気がします。