人を殺すこと。そして、白人が黒人を殺すこと。
結果としては、1人の命が奪われることに代わりありません。

ただ、それが過去の積み重ねの中で生み出された“人種差別”という文脈をはらむことで、全く異なる様相を呈します。

ジョージフロイド事件。
今、アメリカで広がる抗議活動は、白人警官が黒人を殺害したことに端を発します。

Twitter上でも「#BlackLivesMatter」(黒人の命だって大切だ)というハッシュタグで、多くの人々、企業、政府がこの問題にコメントし、その事件から1週間たった今も、事態の収拾は見えていません。

人種差別に関し、なにか知見を持っている訳ではありませんが、だからこそこうした社会問題に無関心でいてはいけないなとも感じ、あるツイートと一緒にいま思ったことなどをとりとめもなく記録しておこうと思います。

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また、黒人差別か

学校でも習った、本でも読んだことがある。だから知っているし、だからこそ何も知らない浅はかさが、そうした考えを思い起こさせたのだと感じます。

何を隠そう、最初に私が思ったことです。

いつも通りTwitterを眺めていて、流れてくるニュースの中にあったこの事件を、「何年か前にもあったな」といういかにもな態度で流した際にそう感じました。

自分とはまったく関係のないもの。知識としては知っているので、ただそれを確認しただけ。次の瞬間には、別のことを考え、何事もなかったかのようにスルーする。
そんな字面通りの他人行儀でそのままTLを眺めていた際、以下のツイートが流れてきました。

「いつだって俺たちは 神様が助けてくれることを祈ってたんだ ただただ祈るだけだ 誰も俺たちを助けになんか来やしない」

(16歳の黒人の青年に対して)
「お前がまさに今見ているこの景色 きっとこれは 10年後にもまた起こる」

「今の俺たちのやり方じゃ何も解決しない」

「お前自身を危険に晒すのは 何も解決しない」

「4年前にもデモに参加した 今とまったく同じことをした 毎晩毎晩だ でも何も変わらない 何か方法を探してくれ」

2分ちょっとの言葉の中に、この人たちの親やそれより上の世代から抱えてきた問題の一端を、ほんの少し垣間見れた気がしました。

この人たちは、ずっとこうした不平等、不条理に耐えてきた。それをただ「当たり前のこと」と受け取り、ただ何も起こらないことを祈って日々生きてきた。
自分たちではどうすることもできず、それでもこの状態が間違っているということだけはわかっている。
繰り返される悲劇になんとかしなければ、そうでなければ自分の子どもたちにも同じ思いをさせることになってしまう。

でも、何もできない。

だから、どうか繰り返さないために、“良い方法を編み出せ”と男性は青年に訴えかける。

この一連のやり取りを見た時に、初めてこれは現実の出来事なのだと実感しました。人種差別というものが間違いなくこの世に存在する。これは教科書でも映画の中でもなく、今まさに海の向こうで起きている現実なのだと、初めて肚落ちした気がしました。

どこかで、差別というものが20世紀の社会課題であり、今この21世紀においては“数年に1度”起こるだけで、その根本は解決されている。
そんなふうに思っていましたが、なぜその“数年に1度”が起こり得るのか、を考えたことのなかった自分の想像力の無さや無知さにただただ衝撃を受けました。

人種差別は、“毎日”起こっている

たまたま日本に生まれ育ち、海外旅行に行っても、黄色人種ということで差別など受けたことのないラッキーな境遇にいるお陰で、こうした社会問題をリアルに感じることもなく、平和に過ごしてきた。

それはそれで素晴らしいことだと思いつつも、世界には今もこうして、“毎日”何かしらの差別に苦しみ、悩む人々がいるということ初めて認識しました。

その毎日が、数年に1度を引き起こす。

なぜそんな当たり前のことに気づかなかったか、急に事が起きたように思ってしまっていたのか。もはやその能天気さに恥ずかしさしかありませんが、それでも自分がそれだけ人種差別や、“自分が当事者になっていない社会問題”に対し無関心でいてしまったかを知る機会になったと思います。

もちろん、これで何かわかった気になるわけではありませんし、いきなり「人種差別反対!」と叫んで何かの活動に与することも何か違う気がする。

それでも今できることといえば、黒人に限らず、出会う人、一人ひとりに対して思慮深く向き合い、尊重し、なるべく同じように気張らず付き合っていくこと。
あとは、誠実に相手を知ろうとすること。
今のところはそのあたりを、きちんと態度で示せるようになれればと思います。