顔が見えない人
そんなんでロボットやら人工知能が普及しちゃったらどうすんの!?っていつも思っていることがあります。

自分らしさ、個性といったものをないがしろにし、周囲や社会に迎合することが大人になることだとすれば、自分は人間でいたいので迎合したくないなぁと。
せっかく自分の意志、そこから生まれる個性を所持した生物なのに、それを失くして生きることにどれだけの意味があるのかと。

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それって完全にロボットと違わないのだけれど、この先ロボットの”1人”として生きていくつもりなんですかと。

人間としての生を楽しむ、自らの意志によって生まれる世界を楽しむ、だから世界があることに意味があり、自分が生きることに意味がある。

自分が生きる意味やら自分らしさってなんだろう、と考えてしまう人は多いかもしれませんが、そんなものはハナっから存在しないと思っています。自分の意志で創っていくものであって、探したり見つけようとして見つかるものじゃない。あくまで”創ろうとするもの”が自分らしさになっていく。

なぜ創ってこなかったのかという問いに対しては、周囲と異なることを恐れたから、という答えが一般的ではないでしょうか。
周りと同じであることに安心し、波風立てずをモットーに生きさえすれば至極省エネで楽に生きれる。ただ、それまでの判断や決定をいつも他人に依存してきた分、自分で創ったものは何もない。自分と言えるものが何もない。

ただ唯一救いなのは、今自分が生きていて明日以降もとりあえず死ぬ可能性が限りなく低いということです。
明石家さんまが「生きてるだけで丸儲け」と言っていましたが、本当にその通りで、生きているのだからいくらだってやり直したらいいと思います。

でも周りと違って大志や夢なんてないし、なりたい自分もわからない。どんな自分らしさを創っていけばいけばいいかわからない。
そこで安心してほしいのは、そんなこと誰もわかりっこないので問題ないということ。
大事なのは「何かすごいものになる」とか「みんなの羨む人生を歩む」とかではなく、「自分の意志で自分の人生を生きる」ということです。

誰かにとっての理想を追い求めるのではなく、日々選択の中で、自分の意志を素直に尊重していく。「なんとなくー」や「とりあえず」という態度は厳禁で、これまで惰性で成り立っていた自分という存在を、自分の意志から生まれた本来の自分という存在にすることが最も大切です。

そうして気づいた頃にできあがっている自分という存在は、他の誰かに自慢するものでなく、自分自身を肯定してあげるためだけに必要な支えとなります。その他大勢の1人ではなく、自分が自分の意志によって成り立たせた存在=自分こそが、この先21世紀を悩まずに生きていける”人間”だと思います。


以上、ダラダラ長くて何言ってるかわからなかったという方は、明日の昼食をカレーにするかラーメンにするかを、自分の意志で決めることから始めればよいと思います。
なんとなくで決めず、なぜそっちを食べたいかという理由・結論を間違っても良いのではっきり出してから選択するということが、全てのスタートです。