昨日、ついに最終回を迎えた「100日後に死ぬワニ」。
最終話が、75万リツイート・209.1万いいね(執筆時点)を獲得するバケモノコンテンツとなりましたが、今回は全体的に感じたことをつらつらと。

※電通うんぬんはいったん置いておきます

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見せられていたのはただの日常と余日

ワニくんのスタートが、2019年12月12日。
はじめは、「100日後に死ぬワニ」というタイトルから、色々な事件やドラマに出くわして感動的な話にでもなるんかなという印象。

ただ日が経つにつれ気づかされるのは、期待していた話ではなかったということ。
いつまでたっても事件は起こらず、ワニくんの隠された秘密が解き明かされるわけでもなく、ただただ誰もが経験してきたであろう日常が続く。
通販で物買って到着がわくわく、ラーメンを食べてうめぇ、仲間と遊んでハッピー、ちょっと恋とかしてドキドキ。

徹底的に描かれる“ただの日常”に、なぜか魅せられ、気になる毎日。
ストーリーは共感全振りで、何かあればニヤニヤするし、何もなければホッとする。

こんな“話のない”話に魅せられてしまうのは、やはり4コマ目を読み終わった瞬間に目に入る「死まであと○○日」という無機質な文字列。

明日はなにか起こるんじゃないかとハラハラし、それでも何も起こらないことに安堵する。
ただただこの先に待つのが死だとバラされているからこそ、死までの余日が、その1日1コマに意味を持たせ妄想させる。

ストーリーとして見れば、ワニくんの笑顔に、喜びや寂しさという両面の感情を湧き立たせ、
コンテンツという面で見れば、制約がいかに人の想像を掻き立てるのか、を思い知らされた本作。

色々な見方があるかもしれませんし、こうした作品を通じて、おもしろいコンテンツってなんなの?的な部分を考えていきたいけど、読んでる最中はただワニくんの幸せを願う毎日になってしまっていたのが正直なところ。

確かにジャンルとしては、日常系コンテンツということになるかもしれませんが、なにか「日常は延々に続くもの」という見方を根底から覆す死までのカウントダウンが、「幸せってそう長く続くもんじゃないよね」という現実を突きつけてきます。

感覚的に『あの世界の片隅に』という映画でも、戦時中の市民の生活が丁寧に描かれていたことで、日常に没入し過ぎた結果直面する“現実”がめちゃくちゃ怖かったなと。
降りかかる爆撃や銃弾よりも、その爆風によって飛んでくる破片や石ころに、これほどまでの恐怖を感じたことが今まであったかと。
人って、それだけでも簡単に死んでしまうんだと、本当脆い生き物なんだという恐怖心を嫌なほど感じさせられる。

そして今回、ワニくんの最後の日。
以下ネタバレにはなりますが。。

一瞬でしたね。
劇的な死に際があるでも、伏線が回収されるでもなく、ただ99日間続けてきたいつも通りの日常の1コマとして描かれ、流れていった100日目。

4コマ×3本+1コマの中で、ワニくんが登場したのはわずか1コマ。
それも全身ではなく、口と両腕含めた上半身のみ。

残されたひよこからも、せめてもう少しリアクションがあればといったところですが、何が起きたの?という感じ。その無情さだけを抱きながら迎える最後の1枚絵は、これまた毎年当たり前のように咲きほこる綺麗な桜。

あぁ、こうやって人は命を終えるのか。死の訪れは、こんなにも何気ない日常にあるんだ。
ワニくんとの別れに寂しさはありつつも、逆にこの感情の浮き沈みのなさは、死が当たり前のものとして腹落ちできた瞬間だったからかもしれません。

一時の感情として「よし!1日1日を後悔なく大切に生きよう!」といったものではなく、一つの価値観として「うん、できることをして今をがんばろう」と、静かに思えたのは、この物語が、感動ストーリーなどではなく、日常を描いたものだったからだと思います。

とりとめのない感じになりましたが、日常を題材にしたコンテンツの見方が少し変わったかもと。
また、気づいたことがあったら書き足していこうと思います。

100日後に死ぬワニ_ラスト