侍における武士道

ヘイ!日本人は宗教を持ってないのに、どうして道徳教育ができるんだ!
と言われたとこからできたのがこの「武士道」。

旧5千円札に描かれていた新渡戸稲造という人物が、ドイツへ留学中、ベルギーの法学者にそう問われたそうな。
確かに外国では、キリスト教・イスラム教などの宗教観を背景に、善悪の基準を教えているそうで、これじゃあ日本人の道徳観を説明できん!とかなりの衝撃だったとか。

外国人に日本人を知ってもらう、理解してもらうためにもそこを明確にする必要がある。そんなこんなで1900年に出版され大ベストセラーとなった「武士道」から、今の日本人にも影響を与えてきた思想や考え方について学んでみたいと思います。

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武士道精神は仏教・神道・儒教のハイブリッド

武士道における仏教の関わり
日本は宗教を持っていない、と言いましたが、正確には国教(国として定められた宗教)がないだけで、仏教や儒教などの思想は多くの人々に影響を与えてきました。

そんな中、仏教・神道・儒教は武士道を支える上で特に重要な思想です。
仏教からは、運命を受け入れること、死への親しみ・親近感を。神道からは、主君に対する忠誠や先祖への尊敬・敬意。儒教からは、主に孔子や孟子の思想を取り入れるなどして武士道の源としてきました。

「論語読みの論語知らず」という言葉を耳にした方は多いと思いますが、これは孔子の言葉をただ知っているだけで、それを行動に活かさない人を指摘した言葉です。
武士は行動の人というように、蓄えた知識も実際に使わなければ意味がない、行動に反映されてこその知識・知恵であるという「知行合一(ちこうごういつ)」の精神(中国の思想家、王陽明の思想)からも影響を受けていることがわかっています。

武士道精神は、こうした思想・宗教観を背景に成り立っているのです。

武士道で押さえておくべき7つの道徳律

いくつかのもの、本
では具体的に、武士道で求められている道徳観について触れていきます。

義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義

この7つが、武士道の基本理念とされています。

「義」 – 武士道の中心となる良心の掟

義とは、人間としての正しい道、要するに正義を指すものであり、最も厳しい規律として求められます。
武士道の基本はフェアプレイの精神であり、困っている相手が敵だろうと手を差し伸べ、決して姑息・卑怯な手段を用いないことが鉄則です。
打算や損得で動くのではなく、自分の正しいと思った道を貫く(義を通す)ことが、武士の正しい姿とされています。

「勇」 – 義を貫くための実行力

勇は、義を貫くこと、自分の正しいと思った道を進むために必要な勇気であるとされています。
ただ勇気といっても、自ら危険を冒して犬死にするものは「匹夫の勇」として蔑まれ、水戸黄門で有名な徳川光圀公も「本当の勇気とは、生きるべき時に生き、死ぬべき時に死ぬことである」という言葉を残しています。

勇は、心の落ち着きよう・平静さとなって表れ、危険や死を目前にしても動揺しない強い精神・広い心が尊敬の念を集めるのです。

「仁」 – 思いやり、他者への憐れみの心

弱い者、負けた者を見捨てず情けをかけ慈しむ。義や勇のように高潔で厳格な男性的な徳とは違い、女性的な優しさを持った徳、それが仁です。
また、孟子は「不仁にして国を得る者は之有り。不仁にして天下を得る者は未だ之有らざるなり」と説き、この仁が王なる者として必要不可欠な徳であるとも言っています。

「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる」と伊達政宗が言ったように、そのバランスが重要な徳でもあります。

「礼」 – 他者を尊重することから生まれる謙虚さ

礼とは、他者に対する優しさ・敬う気持ちを型として表したものです。
相手への気持ちを動作で表現し伝えようとするこの礼は、礼儀作法としてお辞儀や挨拶など細かく分けられ伝えられてきました。
ただ、礼という作法もあくまで礼儀の一部でしかないため、日頃から慈愛と謙遜の心を持ち、物事に当たることが求められています。

「誠」 – 言ったことを成すこと

武士にとって、嘘やごまかしは臆病な行為と見なされます。
士農工商という社会的身分の高い武士には、他の人間よりも高い「誠」の精神が求められました。よって武士はその行い・言った言葉には嘘偽りが無いとされ、約束などにも証文を必要としなかったのです。「武士に二言はない」という言葉は、この誠を貫く姿勢が生み出しました。

「名誉」 – 誠と共にある武士の精神的支柱

名誉は、自分に恥じない高潔な生き方を守ることです。
名誉自体の概念は、外聞や面目などで言い表され、その裏にある「恥を知ること」「羞恥心」のことでもあります。「人に笑われる」「体面を汚すな」といった言葉で立ち振る舞いを正され、名誉という人としての美学を追求するための徳を養っていきます。

「忠義」 – 武士にとって最高の名誉

武士がなんのために生きるのか、それを表すものが忠義です。
主君に絶対の忠誠を誓いながらも、媚びへつらったり何にでも従い追従する者は佞臣、寵臣とされ忠義とは見なされません。時には命をかけ自ら意見し、主君を正しい道に進ませようと説くなど、あくまで自発的な行動が求められます。

忠義を誓うべき相手は、主君という限られた存在だけでなく、己の正義に値するものであるという点が本質にあります。

武士道が今に与えた影響とは

外人が影響をうける瞑想
こうした道徳律から成り立った武士道が、今にどのような影響を与えているのか。
もちろん日本人の精神や行動に、その面影が見て取れることは言うまでもありませんが、実は日本だけでなく、海外にも大きな影響を与えています。

元アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトは、この『武士道』を読み日本人の思想に興味を持ち、『忠臣蔵』などの作品から武士の行動に強い感銘を受けたとされています。
また、ボーイスカウトを創立したロバート・ベーデン=パウエルという人物も、『武士道』に触れたことがその設立に大きな影響を与えたとしています。

昨今、政治家や官僚、企業経営者などによる倫理観の欠落・腐敗が引き起こす不祥事を背景に、この武士道精神が重要な役割を果たすとして再評価する流れも出てきています。
日本人が培ってきた道徳・見識・考え方・教養が、今の進みすぎた資本主義・拝金主義の世界で、もう一度、人として大切なもの・守るべきものへの示唆を与えてくれるとされています。

まとめ

以前、『忠臣蔵』を観た印象から忠義のイメージが強かった武士道でしたが、調べてみるとそれ以前に自身を律する道徳律が武士個人の生き様のベースにあったのだなぁと再確認。

今を生きる自分にとってはどれも大切で学ぶべきものと感じましたが、やはり全てはバランスなのかなと。

あと、昔であれば忠義を捧げる対象が主君という決まった存在であったため、自身の方向性や信念を迷わず決めていけた部分もあると思いました。

現代では忠義とはいかないまでも、そうした自身が仕えるべき対象や進むべき道を自分の意志で決めていく必要があります。
ただ、豊かさが生み出してきた多様性の中で、多くの人が自分の信じる道や志を決めきれず、社会の一歯車として流されてしまっているのが現状かと。

己の正義に値するものに忠誠を誓う。
武士道が必要というより、まずその点をどう決めていくかにフォーカスすることが大事だなと感じました。