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世界の第一線で活躍する人、圧倒的な成果を出している人の共通点に「素直さ」、もしくは「思考がシンプル」といった特徴を持つ人を多く見かけます。
最近では、本田圭佑選手や堀江貴文氏などがそうかなと個人的に思っており、以下の記事から映画監督の紀里谷和明氏からもその印象を受けました。

「日本では内戦が起きてる」圧倒的な迫力に言葉を失った紀里谷和明氏インタビュー|Spotlight

「素直さ」「思考がシンプル」といった人はどんな考えを持っているのか。仕事への取り組みやそのルーツについて、ここでは注目していきたいと思います。

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自分がそう思った、だからやる

インタビューの中で、まず紀里谷氏が手掛ける最新映画についての話題が出てきます。
映画監督でありながら、実は自身もプロモーション活動を担当し、時間があれば自ら街頭に立ってビラ配りまで行うという。そこまでするのはなぜか、と問われ紀里谷氏はこう応えます。

それもよく言われるんだけど、特別なことだとは思わないです。『監督自らよくやりますね…』って言われると、『え、やんないの?』と思っちゃう。僕は監督だけじゃなくこの映画のプロデューサーもやってるから、そりゃあ余った時間があればビラ配りだってやりますよ。

そもそも「映画監督」という体に縛られず、自身が必要だと思ったからやるというスタンスです。
もちろん誰かに任せておけばいいかもしれない。けれどやれるなら自分もやればいいじゃないかといった様子で、周りがなにか言うほど特別なことをしているのではないとしています。

素直に自分が感じたこと、自分で考えて必要だと思ったことを実行していく。
ビラ配り1つとっても、映画監督なら”普通”そんなことはしないと考えられている。けれども、それをやる人が1人でも多い方がいいと思うのであれば、なりふり構わず行う。

自分の周りでも成果を出している人の共通点に、自分の役職や立ち位置を気にせずできることは何でもする、というスタンスの方は多いと思います。
でしゃばりや欲張りと言われる可能性もありますが、それでも自分の考えを通して納得するまでやり切る姿勢は、周囲を引っ張る原動力にもなります。

「自己責任」が生み出す強い個性

こうした紀里谷氏の考え方は幼い頃からすでに健在で、15歳の頃には単身アメリカに渡るほどだったといいます。
そうした行動に至るまでにキッカケはあったのだろうか。そう尋ねると紀里谷氏は真っ向から否定。

それは外的要因のことですか?違いますよ。そこに至るには、単純に内から湧き上がるものがあったんですよ。無意味ですよね、外的要因のことを言い出すのは。外的要因の話をすれば、すべて“何かのせい”や“人のせい”になって自分の人生に制限をかけることになる。それは、きわめてつまらないことだと思います。

もしあるとすれば、父親からの教育で「自己責任」を教えられたことだとのこと。
外からの影響は全く関係無いとしながらも、親から受けた影響だけはやはり特別なものだったようです。

「自己責任」

自分のしてきたこと・することに対し、責任の全てを自分に求め、決して他人のせいにしないこと。
世の社会人ともなれば当然と見なされるこの姿勢も、どこまで徹底できるかにおいて全く異なるものになります。

中途半端に行えば、些細な責任の所在を巡るいざこざを生み出す。
徹底してやるからこそ、やってきたこと全てが自分の血肉となり糧となる。

紀里谷氏は、幼い頃から後者を選択し、実行してきたからこそ、今でも自分が必要と思ったことなら全てやるというスタンスを貫けるのだと思います。
その責任を取るのは全て自分であり、納得しないことをして失敗しても誰もその責任を取ってくれない、誰のせいにもできない、という現実を深く理解しているからこその考えです。

そして反対に、自己責任を貫けず何かのせいにし続け何もできなかった人達が、関係のない頑張っている人達をバカにし出す。それが今日本で起こっている内戦だ、という話になっていくのですが、ここから先は興味あれば元記事を読んでみてください。

まとめ

当たり前と考えられてきた「自己責任」を、どこまでも貫くことで、紀里谷氏のような「素直」で「シンプル」な思考を生み出せるのだなと。
腹をくくると言い換えられるかもしれませんが、社会に出て急に自己責任と言われても、どう思考を整理していけばよいか。

先に触れた本田選手やホリエモンも、自分がしてみたいと思ったからやってみよう、自分の人生の責任は全て自分なのだから、その中で目一杯やってみよう、という考えが全ての根幹にあると感じます。

様々な発想の転換が、ふと現状を脱するヒントになるかもしれませんし、今後も強い個性を持って生きているという方には注目して取り上げていきたいと思います。