人生において大切な事

いやーついに30歳を意識する年になってきました、27回目の誕生日。
年に数回、歳を意識する機会はありますが、改めて27という数字と向き合うと中々くるものがあります。
アラサーという立ち位置もそれなり板についてきたこの頃、時間怖い。

ということで、今回はこの27年間で学んだ人生で大切な事について書こうと思います。これまでの自分が何を感じ世界をどう見てきたか、という点を留めておこうかと。実際、書いていることは当たり前のことばかりですが、普段漠然と感じてきたことを棚卸しする機会にもなれば。

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1. 世の中は不公平であり、不平等である

様々な人がいて違いがある
小さいころ義務教育で習った、「みんな平等」という言葉。まぁ嘘でしたよね。
世界では、生まれた瞬間から億万長者だったり、スラム街でゴミを漁って生き延びたりと様々。どこの国の誰の家に生まれたかで、人生は大きく左右されるっていうのが、この世界の超基本ルール。

さらにその世界の多くは「資本主義」というシステムを採用。「資本主義」という設定上、世の中は強者(金持ち)に優しく、弱者(貧乏人)に厳しい性質を持ち、強者はより強者に、弱者はより弱者になりやすい傾向にあります。
一救済措置として政府が存在しますが、実際救えるキャパには限界があり、不平等が是正されているか問われるとなんとも言えない状況。ただ、それが無いと生きていけない人もいるため、無意味とは言えません。

まず、人生を送るこの世界はスタート時点から不公平・不平等が前提の世界となっています。

2. 不公平・不平等であることが努力をしなくてもいい理由にはならない

努力すること
では、弱者としてスタートした者は決して強者にはなれないのか。弱者ならば弱者なりに慎ましく生きなければならないのか。そう聞かれればもちろんNOです。
自分がそれを望むか望まないかによりますが、少しでも強者になりたい、よりよい生活をしたいと思うのであれば、努力することは必要不可欠。
弱者であれば誰かが助けてくれる、弱者だから強者になんてなれっこない、という思考はこの社会に生きている以上相手にされません。

境遇の差を理由にすれば楽なことは多々あります。ただ、それを嘆いた所で何も始まらないのもまた事実。
今この瞬間の頑張りに、過去は全く関係ありません。

3. 努力が実を結ぶなんてことはほとんどない

努力は中々実らない
努力すれば報われる!努力することは素晴らしい!

と、手放しで賞賛されるこの努力ですが、実は結構タチが悪い。というか、こちらの期待に応えてくれることなんて滅多にない。
それは努力の仕方が悪いんだ、と言われてしまえばそれまでですが、努力が実を結ぶなんてそう簡単にありません。いくら頑張ってもうまくいかない、どれだけ試しても成果出ない。挫けそうになる、悔しい、やめてしまいたい。

でも、だからどうしたと。

そこからがスタートなのだと、自分にとって新しいこと・難しいことに挑戦すれば失敗するのは当たり前。だからこそもっと取り組む、一生懸命になる越えようと踏ん張れる。

実を結ぶことが前提の努力なんて、努力とは呼べないのかもしれません。

4. 努力している姿は必ず誰かが見てくれている

誰かが見てくれている
なかなか実を結ばない努力も、根気強く続けていれば思わぬ成果や出会いをもたらしてくれます。

世の中の成功者に、たまたま運が良かった、偶然チャンスが回ってきたと話す方は多くいます。そうした運やチャンスは、結局この努力を起点に生み出されたものだと感じます。

こんなことやっていて意味があるのか、本当にこれでいいのか。結果が出ないうちは、こうした問いが日々頭をよぎり、すぐ弱気になる。それでもあと少し、もうちょっと、と泥だらけで続けている内に、その泥の跡が気付いてもらうための目印になる気がします。

「人生、思いの外捨てたもんじゃない」という言葉は、そうした瞬間生まれるものなのでしょう。

5. 正解は探すものでなく、創っていくもの

探すのではなく作っていくもの
受験勉強のように正確な答えが存在しないのが、人生というもの。

失敗したくない、恥をかきたくないことを理由に既存の正解・当たり前だけを追いかけては、自分の人生全く面白いものになりません。
決まりきった答え、その時々の常識なんて、時代によっていくらでも変わるもの。自分が思っている以上に、世の中の正解・常識は脆弱で頼りないものだなぁと。

だからこそ、正解を探す・見つけるのではなく、自分の選択を正解にしていくことが重要です。今生きている自分達だけが新しい正解・常識を作っていける権利を持っています。

6. 自分にとっての幸せを自分で決められない人間は不幸である

幸せは自分で決める
今、自分にとっての幸せは何か?と問われてはっきり答えられる人はどれだけいるでしょうか。

それこそ、世間一般に言われている「幸せ」を自分に当てはめでもしたら、その瞬間幸せから遠のくことになるのではと。
お金持ちになる、有名になる、豪邸に住む、、などなど。資本主義社会においてお金を手にすれば、確かに強者と言えるかもしれません。

ただ、それが自分自身の幸せとイコールになるとは限りません。幸せはあくまで各個人によるもの、資本主義によって押し付けられた価値観に従う必要は全くありません。自分と向き合って自分の幸せを考える時間を作る、そして自分にとっての幸せを自分で見つける。それがなにより重要です。
幸せかもしれないと思っていたことも、実は何も残らない、ただ周りに流されてしていただけなんてことはよくあります。

もう少し、自分の幸せに興味を持ってみてもいいのでは。

7. 思っている以上に周りは自分のことを気にしていない

他人には無関心
周りと違うことしたらおかしい、恥ずかしい、変だと思われる。

ここらへんの感覚は、大抵自意識過剰であることがほとんどです。正直周りの人は、自分が何をしようとそこまで関心を持っていません。というか普段は忙しくそんな余裕も無いため、自分に何か影響がない限り「へーおもしろねー」「まぁいいんじゃない」程度のものです。

自分のちっぽけな自尊心を守って行動できなくなる位なら、そんなものはゴミの日に一緒に捨てておきましょう。

8. 「生きている」って実はめちゃくちゃすごいこと

生きてるってすごいこと
当たり前を意識すること、自覚することがどれだけ大切で人生において意味あることなのか。

世界中で起こるテロ・紛争・貧困。それらはたまたま日本に生まれたから経験せずに済んでいること。そんな日本でも、震災や事故で命を落とすことは決して稀なことではありません。

それらの可能性があり、さらにその上五体大満足で大学も卒業できて安心して生きていられることを加味したらどれだけの幸運か。
過去に明石家さんまが言っていたように、「生きてるだけで丸儲け」とはまさにという感じです。

まとめ

こうした事に気づき、意識しながら日々の行動に活かしてこれたのも、多くの人に支えられ刺激を受けたからなのだなぁとしみじみ。
まだ27の若造が人生語って調子乗ってみましたが、それでもこういうこと感じて生きてる奴もいるよってのが伝われば幸いですm(_ _)m

正直学んだことは他にも色々ありますが、今回はこんなもんで。


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