あざ笑う子供?

「ベンキョーなんて社会で役に立つんですかー?」
「ねー、なんでー?なんで先生?(答えてみ、ほれ)」

みたいな子、周りにいらっしゃいませんでしょうか。
無邪気な小学生からやんちゃな中学生、投げやりな高校生からウェーイな大学生まで。
古今東西こうした質問にどれだけの先生が悩まされてきたか。いや、そこで答えられない先生にはがんばってほしいと思いますが。

とりあえず教育に興味を持った者として、別に教師でも何でもないですが、こうした質問には自分なりの考えは持っておこうかと。
自分の意見持たないで、ただ批判するってのはよくないですからね。

ということで早速結論、
べんきょーすると、自分にとって楽しい・おもしろいと思える、理解できる物事が増えるから!

以上です!

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よくいるこんな答えをする先生たち

参考程度に、これまで自分が見聞きしてきた先生方のご意見を並べてみようかと思います。
「べんきょーってなんでするんですか?」との問いかけに、当時はなるほど!と思った意見も、今となっては大人の都合だったり、ただの詭弁じゃないですかね、的なのもあったりしたので今一度振り返ってみます。

「勉強すると頭が良くなって、良い大学に行って良い会社に、、」

こちら、典型的な昔懐かしの回答ではないでしょうか。
良い大学に入って、良い会社に勤められればまず安泰、という価値観。恐らく先生自身の体内時計が、20~30年前で止まってるんだろうなって気はします。

もちろん、良い大学に行って良い会社に入っておけば、本当にしたいことに気づけた際、選択肢の幅は大いに広がります。コテコテの学歴・ 経歴社会で、自分が誰かを示す1番手っ取り早い方法が、学歴であり経歴であることは間違いありません。

処世術として、それをツールに自身の道を切り開いていく、という点まで考慮されていればいいのですが、それを手にするだけを目的とした発言なら、安定もクソもない現代において、無責任であると片付けられても仕方ないと思います。

「その勉強もできないお前らが、どうして社会で役に立つのか」

んー、これ言わんとしていることはわかるんですよね。確かに、必要な知識を得られなければ、最低限の仕事もできませんし、社会に出るには勉強はほぼ不可欠。

ただこれ、素直に受け止めれば受け取るほど「勉強できない奴は、社会で何の役にも立たない」、と聞こえてしまうのではないかなと。
勉強はとても大切なこと。ただ、勉強が全てかと言われれば、そうだと言い切れないのが社会であり、子供の時点で勉強が出来ない=将来はない、と真っ向から否定してしまう(していると思わせる)発言は、教員以前に大人として最悪だと感じます。

子供に正論ぶつけて言った気になっている、悦に入っている教師ほど不憫なものはありませんし、この場合、正論ではなくただの「脅し」にしかなっていません。

「少なくとも先生は、勉強してみんなに教えることで家庭を守ることができてる」

一見良さ気なことを言っていますが、本当に教員個人のことだけを言ってどうするのかと思うコメント。
生徒からしたら、あっそうですかとしか言えないですし、先生にならない人には関係ないですよねと言われてしまえばそこまで。

ある意味教員の限界だったり、視野の狭さ・社会経験のなさが言わせる言葉なのかもなと思います。教員全体における8割の人間に社会経験が無い(OECD加盟国中最低レベル)ことからも、勉強が社会でどのように役立っているのかまず知らない教員に、そもそもこの問いを考えるのは酷なのかもしれません。

教えた先に何があるのかも考えず、教えた結果生徒にどうなってほしいかも考えない教員は、それこそロボットに取って代わられても問題ないのだろうなと。

結局、”わかる”ことが増えるって大事

基本的に勉強というのは、社会の為でも日本の為でも、ましてや世界の為にやってる訳でもなく、全ては自分の為、自分の将来の為にするものだと思っています。
どんな将来の為?と聞かれれば、良い大学に行くでも良い会社に入るためでもなく、自分が幸せになる将来の為に、ということ。

自分の幸せって何だ?って、そもそもそこを自分で考えられるようにする為に必要なのが、勉強だと思います。
自分にとっての幸せを考えて、ちゃんと自分の幸せを決めるられる力を育む。

そして、そんな幸せを決めるには何が必要かなーと思った時、自分にとって楽しいことをどれだけたくさん見つけられる(気づく)かだと思いました。

自分にとっての楽しいを見つけること。それはそもそも、まず世の中にある物事の楽しい側面、おもしろい部分をわかる・わかろうとする力がなければいけないなと。
その楽しい、おもしろいを”理解する”ためにも、勉強をして知識をつけ、考え・学ぶという行為が必要になってくるのだと思います。

同じものを見て、面白いと思うかつまらないと思うかは、その人の感性だという言い方もできますが、勉強により培われた前提知識や思考にもよってくるはずです。
周りに流されず、自分だからこそ感じられる自分にとっての楽しいを見つけられる人間は、結構幸せなのではないかなと。

社会で役に立つかわからない、けれど将来あなた自身を幸せにするには役に立つものだよと。

今のところの考えは、こんな感じです。


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